学校コンサートの原点
学校コンサートの原点
~僕が君から借りたもの
「広島長崎被爆60年」に向けて自分たちにできることは何か? そんな模索が始まったのは2004年、カズンと田中勝さんとの出会いがきっかけでした。
田中 勝(まさる)さんは京都芸術造形大学などで教鞭を握る芸術平和学の先生で、世界を舞台に活動する現代美術作家です。
勝さんの実績のひとつに、アメリカの女流画家ベッツィ・ミラー・キュウズさんとの共同作品があります。ベッツィさんの実父はかつて核開発チームに属したこともある科学者。一方で勝さんは被爆二世です。文化・芸術の力が、そんなふたりを結びつけ社会に平和を訴えかける現代アートが生まれました。
2005年被爆60年の夏、広島の地でカズンと広島の子どもたちが一緒に平和を歌うコンサートの開催が決まりました。この公演で、勝さん/ベッツィさんの作品映像とカズンのライブがコラボできることになったのです。
準備が始まりました。しかしテーマソングをつくる漆戸啓(カズン)には重圧がかかりました。被爆・戦争・平和といったテーマをいったいどう表現するのか...悩んだ漆戸は広島に足を運びました。勝さん/ベッツィさんの製作現場、子どもたちの通う小学校...そこで気付いたことがありました。当時の漆戸のメモには次のように書かれています。「今を生きる僕たちは、全てを未来から借りている」「僕が君から借りたもの...それは“今”という名の、未来に続くかけがえのない贈り物」
こうしてタイトル「僕が君から借りたもの」が決まったのです。しかし制作の苦悩はまだまだ続きます。「シンプルな言葉で〝ノーモア〟を表現したい...」歌詞には大人も子どもも共感できるフレーズが必要でした。答えがみつかったのは広島の小学校の教室。先生と子どもたちのディスカッションのひとこまでした。
「あの日広島上空で光ったのは12000度の核兵器..」
「やっぱり、空に光るのは花火がいい!」
...楽曲制作に光が見えた瞬間でした。
2005年夏、コンサート本番。会場となった「はつかいち文化ホールさくらぴあ」は子どもたちの漲る元気に溢れていました。コンサートは大成功。客席の大人たちの目にも決意の涙が光っていました。
全ての指導にあたってくれた田中辰貴先生と田中勤子先生(当時四季が丘小学校)のご恩は一生忘れることはできません。その時、校長先生だった岡本美紀子先生はこのように語ってくれました。
「カズンの歌を全校で練習していく中で、学校からいじめがなくなりました。音楽の力は偉大です」
~漆戸啓(うるしどひろし)談~
広島長崎被爆60年にヒロシマの子どもたちと歌うために作った「僕が君から借りたもの」(2005年)から一貫して自分に言い聞かせていることは、単に子どもの歌を作るのではないという事です。先ずは大人たちが、次の時代へ伝えるべき事をしっかりと歌に乗せた上で、一緒に歌っていきたい。そういう意味では、大人の歌であり、これからもそうありたいと思っています。もっと言えば、そもそも大人も子供も関係ないのかもしれません。
平和というものは、僕たちが理解している以上に、もっともっと皆に平等なものなのではないでしょうか。と同時に、大変漠然として難しい言葉でもあります。だからこそ、平和を’歌’という表現にして一緒に歌っていきたいと思っています。
一方で、音楽は<利用>されてきた悲しい歴史もあることを忘れてはならないと思います。映画キャバレーのワンシーン...オープンカフェである青年兵がヒトラーを讃えて軍歌を歌い出します。空気は一変。青年に合わせ皆が歌い出し、みるみる表情が変わっていく。やがて人々の心は戦争へと突入していく...
権力者により、戦意を鼓舞するために<利用>されてきた悲しい歴史です。
音楽とは善悪両面から、団結させる力、鼓舞する力があるのです。平和を理屈で考えることは難しい。平和を感じとり平和に向かって行動する勇気を、未来に生きる、未来をつくる子どもたちと歌っていきたいです。
僕が君から借りたもの
白い魚が浮かんでる
青い青いどこまでも
広がるこの空
精一杯に生きること
君と笑顔で話せること
何もかもが素敵な
僕の宝物
かけがえのない友達を どうか奪わないでほしい
空に光るのは 花火がいい!
♪君のために 君のために 僕のために 夢のために 笑いながら 歌いながら 僕らは愛を考える
すべての流れが辿りつく
深い深いどこまでも
つながるこの海
思い描いた未来も
紙に書き出せば過去の文字
胸に強く願いを
描けばいい
きっと時間は何にも 解決なんてしないさ
誰かがちゃんと 頑張ってる
♪♪何のために 何のために
Choir supervisor:田中勤子 田中辰貴